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2010年11月26日 (金)

「黒と白のピエタ」

 

川崎を中心にした工場地帯で働く労働者たちが演劇サークルを作って50年。いまや京浜協同劇団の名は広く知られるようになった。

この劇団に籍を置く和田庸子は「ミスター・チエムニ―!天空百30尺の男」(註1)のオリジナル・シナリオを書き、3年前に劇団専用の練習所「スペース京浜」で上演して好評を博した。そして今回、同じ作者によってドイツの画家ケーテ・コルヴィッツの生涯を題材にした作品を書上げ、同劇団と東京のから演出家、俳優の応援をえて「黒と白のピエタ」を11月26日から12月5日にかけて上演することになった。

送っていただいた上演台本は、第3稿で2010年6月30日と明記され、劇団関係者の話として20年にわたって構想を固め、彼女の子どもにもケーテと名づけたくらい、打ち込んできたと聞く。

しかも、ドイツで国民的画家の生涯は、日本で初めて劇化され上演される。題して「黒と白のピエタ(彫刻)」。台本の最後に紹介されているコルビッツの画集、版画集をはじめ、列伝、評論、解説と関連資料は20点以上におよび、この台本を書きあげるために彼女がいかに努力したかを証明している。

 舞台は2幕14場から成り、全体に14曲の歌が入り、出演者全員で歌って舞台をもりあげている。

ケーテの父親は左官屋の親方、小さい時から父の仕事場にいた職人から絵や銅版画を学ぶ。

17歳になった時、父がベルリンへ絵の勉強に行かせる。ケーテと兄の友人で若い医師カールの間に愛が生まれ、二人は北ベルリンの労働者街に住む。そしてケーテは連作「織工の蜂起」の銅版画を作り上げ、一躍注目を浴び、大展覧会で金メダルのノミネートされるが、皇帝ウイルヘルム2世は賞金を出すことを拒否する。しかし、その後ドイツ農民戦争を題材にした作品は高く評価される。

 1914年第1次世界大戦がはじまると、末息子ペーターが志願して戦死してしまう。ケーテはこれを題材に木版画による「戦争」や労働者を題材にした作品を作りあげる。

ドイツは敗北し、ヨーロッパに新しい革命の機運が生まれるが、ドイツにはヒットラーのナチスドイツが台頭すると、「退廃芸術」として、排除される。夫カールは1940年に没し、孫のペーターが東部戦線で戦死する。

1943年ドレスデン近郊のモーリッツブルグに疎開し、そこでひそかに「種を粉に挽いてはならない」という作品を作り上げるが、これが最後の作品となる。

ケーテ・コルヴィッツの「ピエタ」は、その後1993年にベルリンの国立中央戦争犠牲者追悼所の内部中央に設置されている。また日本では愛知県美術館に「子帯とたちⅡが展示されている。

(註1)昭和5(1930)年川崎にあった富士紡績工場の煙突に登って労働者の待遇改善の要求を実現させた実話にもとずくオリジナル劇

(以上は「フリー百科事典ウイキペディア」から)(2010-11-26)

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