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2010年9月 1日 (水)

歴史は繰り返されるのか

 今日から9月、いよいよ秋のはじまり。だが連日の30度を超える暑さは、私の部屋の温度計が30度を示して、さらに1カ月も同じ状態が続くなら、体力の消耗が一層激しくなり、警戒しなければならない。まだ20代の時、日中の暑い中で汗を流しながら働いたが、気温が下がり暮らしやすい気候になったものの、夏の体力の消耗で11月半ばくらいまで続き、いくら食べても以前の体力に戻らかった。

 今は、激しい労働もなく、涼しいうちに、といっても気温30度以上の中でパソコンに向かいブログを書いてきたが、思考が停滞しはじめた。

ラジオも新聞も防災の日として首都圏を中心に防災訓練が行われると報道しているが、私は今日も明日も予定を変更して、体をやすませ、気ままな2日を過ごそうとおもっている。能動的意欲を引き出すためには、脳も肉体も緊張を和らげる必要があると思っているからだ。

その9月1日は、1923(大正12)年に関東地方(おもに東京・横浜に震度7.8以上の揺れで、大火災が発生(ちょうどみんなが昼食の準備をし始めた時間だったから)大火災が起こり、死者、行方不明者12万8千人、経済歴損失は当時の価値で100億円を超える損害を出した。避難して集まった本所両国の被服省跡地にに集まった人たちは、熱風に焼かれ、それを避けようと隅田川に飛び込んで溺死した。今、両国の相撲体育館の陰に隠れてしまったような感じだが、両国震災記念堂と記念館を見学すれば、いかに大きな災害であるかがわかる。

ここは小学2年生(昭和14年)に父親に連れられて見学にいった。その災害の規模に比べれば、横浜震災記念館(横浜の災害を紹介していた)は、はるかに規模は小さかったが、市電のレールが曲がり、電線が垂れ下がり、ガラス瓶が溶けて固まり、といったものが陳列されていた。今はこの記念館がないのは、

昭和20年3月9~10日の朝にかけての東京大空襲、4月16日横浜への米軍機の絨毯爆撃の災害にくらべれば、何をいまさらということでつぶしてしまったから、横浜市民はその後の空襲の災害も身近に学ぶ記念館はない。

 そうしてもう一つ忘れてならないのは、この大震災のとき、朝鮮人が暴動を起こすというデマの元に、日本人でない発音をする人たちを次々に捕まえてきて、その数300人以上を機関銃で暗殺した。私が持っている雑誌「種まく人(Semanto)の4号に記載されている。

 私が忘れてはならないと思うのは、昭和20年8月15日、日本の敗戦と同時に、私のいた玉造派遣隊では、「朝鮮人が暴動を起こすかも」と一端廃棄した小銃やその他の武器に代わって竹槍を用意させたことだ。

そして、今も、朝鮮人といえば、多くの国民が民族蔑視の影響から解放されていないことだ。数日前の新聞は、朝鮮人学校生徒への援助について、日本政府は見送ってしまったと報道している。

(2010-09-01)

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