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2010年9月 4日 (土)

ベトナムの独立宣言と200万人の餓死(2)

200万人の餓死は本当か?

ベトナム独立宣言の中にある「200万人の餓死」は本当か?

 例えば、ヒロシマ、ナガサキの原爆で亡くなった人はその当日に死んだ人、救護中に亡くなった人、そして65年たった今も被爆が原因で亡くなる人がいるから、即死した人とその後に亡くなった人をくわえれば、2世、3世も含めて、終止符がうたれることはない。まして日本政府は被爆した人を、放射能を浴びた直線距離の中に閉じ込めて、被爆者の数をなるべく低く抑える狡猾な手段を今もとっている。日本の医療制度や福祉制度は大企業優遇、米軍優遇の悪政を続けている現在も、そのごまかしができないくらいふえつづけている。人の命を大切にする考え方とそうでないのとでは、この一つを見ても歴然たる違いが生じてくる。

 

2004年1月から9月末までハノイ点字図書館のプロジェクトに参加した時のことだ。ベトナムでは春節(テト)の前日がやはり大晦日で、街では正月を迎える準備が朝からつずいていた。年越しを祝う夕食の後、私は二人の友人に両手を抱きかかえられるようにして、ホアンキエム湖で打ちあげられる花火を見にいった。旧市街に近い友人の家から国際郵便局のあるところまで普段なら20分もあれば行けるのに、この日はすでに早くから市内、市外からも人が詰め掛けて思うように歩けない。両側の友人が私を迷子のさせまいと、ときには左右から反対側に引っ張り逢いになることもあった。

東京両国の花火大会では警察官や交通安全委員会が交通安全に力を注いでくれるが、ここでは右側の人の流れも、左側に人の流れも混ざるだけならまだしも、その間にバイクを持った人もはいり、どこを目指すかわからないままに最初の花火が鳴った。友人たちは一様にという。「100万人以上の人の流れだ」と。

もちろん、誰かがかぞえたわけではないが、毎年、湖の花火大会に参加しての経験的な認識だ。多くも少なくもあるだろう。そしてホアンキエム湖の花火大会では100万人の人出があるという共通認識ができる。

私を囲んでの慰労会があったとき、尋ねた。2百万人の餓死者についてだ。ある婦人は子どもの頃父親から聞いたと言って、次のような話をしてくれた。

『毎朝、入り口の戸を楽に開けるのに、その日は戸がうごかない。叩いてもだめだ。仕方がないから思い切り力を入れて,戸を開くと、「ばたり」と音がした。大人が一人倒れていた。街の通りのあちこちに同じように倒れている人を見た。そして昼近くに、その遺体を運んで行ったけど荷車の上は人が重なりあっていた』と。

 あるとき、私はエスペラント語に訳された短編小説をよんでいた。タイトルは覚えていないが「鶏は時を告げる」ということにしておこう。

そこは、日本軍が管理している倉庫に通じる道だった。道の両側には疲れきって立ち上がれない人たちがうずくまっていた。遠くの方からガラガラと荷車の音がすると、うずくまった人たちの頭が動いた。そして荷車の通り過ぎるのを待って落ちてくる米粒を見つけては口にいれていた。

 何も見つけられない汚れた娘は、荷車の端つかむとどこまでも付いて行った。そして、村の納屋みたいな家に着いた。

 中には母親が一人いて息子の帰りを待っていたが食べさせるものがない。息子の後ろに若い女が立っていた。目を合わせても挨拶もできない。母親は考えた。うちの息子はもう嫁をもらってもいい年なのに、この貧乏暮らしではどうにもならない、でも、今日こうして若い女がついてきたということは、嫁が来たのとおんなじだ。

母親は、若い女を家の中に招くと、床の上に座らせて自分は出て行った。せめてもの祝いにアヒルの卵をどこかで貰ってこよう!と。

若い男は家のなかに隠し持っていたもみを、女に見せてこれを煮てたべようといった。若い女は首をふった。「食べてしまえばそれで終わりになる」と。

母親が貰ってきた、たった一つのアヒルの卵を3人はスープにして分け合った飲んだ。それからの息子は、夜になると出かけて行った。母親は思った。嫁をおいてきぼりにしてどこへ行くんだ。嫁は手のひらに乗るだけのもみを近くの池のそばに植えていた。

 そうした生活の繰り返しの中で、息子は母親にも妻にも袋を持ってついて来いと誘った。着いたところは、日本軍が管理している米蔵だった。あっちからも、こっちからも大勢の人たちが集まっていた。そうしているとき、息子はみんなに向かって号令した「かかれ!」民衆は一斉に扉をたたき壊し、中にあったコメのはいった袋から米を出すと、それをおおいそぎにもちかえった。後方の暗闇にべトミン軍の旗が閃いているのをみえた。

 ベトナムで200万人が餓死したことについて、様々な憶測意見がある。それを反論する方も肯定する方も、たとえ時間がかかろうと事実を確かめていかねばならない。(おわり)

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